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2025年 6月

《春の祭典》初演のリハーサルと本番の演奏

 

 ストラヴィンスキーの《春の祭典》の初演は1913年、指揮はピエール・モントゥーだった。モントゥー夫人のドリス・モントゥーが執筆したピエール・モントゥーの回想録『指揮棒と80年』(音楽之友社)には初演の際のリハーサルと本番の様子が書いてあって、大変興味深く読んだ。以下、関連個所を引用させて頂く(一人称はピエール・モントゥー)。

 

 “1912年の夏のこと、ディアギレフが私のところへ来て、幾らか内緒ごとのようにささやいた『ストラヴィンスキーが途方もない新作を書いたんで、今日の午後君も一緒に聞きに行って欲しいんだ』と。”(p.91)

 <ストラヴィンスキーが同作品をピアノで演奏したのを聞いて>

 “その時そこで、私はベートーヴェンとブラームスの交響曲だけが私にとって音楽であり、この気違いロシア人の曲なんか音楽とは呼ぶまいぞと心に決めた。私は「春の祭典」の一音符さえ理解できなかったことを認めねばならない。”(p.92)

 <リハーサルの様子>

 ″何日もの間、私はストラヴィンスキーと一緒にピアノに向かってスコアーを学んだ。私はそれを学ぶのにその冬中かかった。”

 ″春になって、われわれはそれをパリのシーズンのために契約したオーケストラに持込んだ。われわれはまず弦、ついで木管と金管という具合にオーケストラの各セクションごとに練習を行い、(中略)われわれは短い困難な部分を何回も何回も繰り返し、ようやくバレエをつける状態になった。全部で十七回も練習したんだ。”(ストラヴィンスキーは自伝の中に「彼(モントゥー)は私の曲を明確に、完全に演奏することが出来たのだ」と記しているのです。)(pp.92~93)

 <本番の演奏>

 “われわれは最後の最後まで、空の劇場の静寂の中で練習した時と同じに演奏したんだ。”(p.93)

 

 以上のとおり、相当な準備を重ねて初演を迎え、本番の演奏は上手くいったと自己評価している。ストラヴィンスキーも演奏の出来には満足していたようだ。

 ところでYouTubeに指揮者の小澤征爾が《春の祭典》の初演の際に起きた騒ぎの原因を二つ挙げて、一つは「当時としては考えられないようなハーモニーやリズムが使われていた」こと、もう一つは「演奏が悪かったのではないか、いくらモントゥーがやっても」と語っている動画がある(下記URL)。

 https://www.youtube.com/watch?v=151mCGp9Lj4&list=RD151mCGp9Lj4&start_radio=1&t=640s

 小澤はこの本のことを知らなかったのだろう。知っていれば、言及していただろうと思う。

 モントゥーは“友人たちの述べるところによれば、騒ぎの半分は振付けの新しい型に対する反抗だったことは確かだ”と述べている。(p.94)

 


2025年 4月

ラヴェル著述選集

 

 笠羽映子さん編訳の『ラヴェル著述選集』(法政大学出版局)を読んだ。作曲家ラヴェルについてはこれまでいろいろな本を読んだり作品研究をしたりして、多少は知っているつもりだったけれども、この本を読んで知らないことがまだまだあるなというのが実感だった。その一つがラヴェルが「演奏会評」を執筆していたことだ。しかし書いている内容は演奏批評ではなく、演奏された作品の作曲家批評になっていて、これがなかなか面白かった。

 ブラームスに対して辛口なのは私にはかなり意外だった。ブラームスの交響曲第2番の旋律線やリズムについて「提示されるや否や、それらの歩みは重苦しく痛ましいものとなる。作曲家は、ベートーヴェンと肩を並べたいという願いにたえず付きまとわれていたようだ」(p.16)と書いている。私はブラームスの作品は、主題労作の論理的な展開の技法と情感の移ろいを表現するロマンティシズムとが高い次元で融合しているところが実に見事だといつも思うのだけれど、私が感嘆して止まない主題労作の技法については「ぱっとしない作品において評価されがちなのはメチエ(技巧)と呼ばれているものである」(p.16)と突き放している。「ぱっとしない」は流石に言い過ぎではないかと思うが・・・。

 セザール・フランクの交響曲ニ短調については容赦のない辛辣な言葉が並ぶ。「聞く度に私たちが味わう幻滅」「形式的には嘆かわしいほど貧弱」「楽器法の誤りが積み重なっていく。つまり、或るところでは、コントラバスがぎこちなくだらだら続き、すでに精彩のなくなっている弦四部を重苦しいものにし、別のところでは、やかましいトランペットがヴァイオリンと重複している」(pp.17~18)と、そこまで書いてしまって大丈夫なのかと心配になるくらいに手厳しい。

 面白いのはカゼッラが管弦楽に編曲したバラキレフの《イスメライ》について書いている中で「耳にして大変楽しかった」と述べた後に「ピアノの効果を管弦楽化するのはほぼ不可能であり、多分とても空しいことだった」と書いていることだ(p.20)。あれだけ自分のピアノ作品を管弦楽化した人物なのに!

 

 私は作曲家エルネスト・ファネリErnest Fanelli (1860~1917)の名をこの本で初めて目にした。ラヴェルは「ファネリ氏の《交響的絵画》」で注目すべき指摘をしていて「彼(ファネリ)は1883年にまったくひとりっきりで、印象主義的と呼ぶにふさわしい探求に乗り出したが、当時フランスでは、誰も印象主義を気遣っていなかった」(p.26)として、印象主義の萌芽をこの作品に認めている。「構造や和声書法は明らかにドビュッシー的であり、あるいはむしろ前・ドビュッシー的」(p.28)と書いているので、早速この作品を聴いてみたところ、和声法や全音音階の使用など確かにドビュッシーを連想させる箇所がある。言わば「前印象派」として位置づけが出来そうな作曲家がいたというのは、フランス音楽史ひいては西洋音楽史の流れを考える上でとても興味深いことだと思う。

 その印象主義について、ラヴェルは「モネやその一派は印象主義者でした。しかし、姉妹芸術である音楽には、それに相当するものは存在しません」(p.166)と言い切っている!そしてドビュッシーをどのように思っていたかについては「私はドビュッシーから深い影響を受けました」(p.166)と述べる一方で「ドビュッシーの発見が私の心をそれほど深く打たなかったのは、私がすでにシャブリエに魅惑されていたからである。(中略)けっして私の側からドビュッシーの原理を受容したことはなかった」(p.208)とも語っていて、接近したり、距離を置いたりして言い方を変えている。自分の作風を説明するのに微妙な難しさがあったのかも知れない。