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2024年 6月

日本における最初の音楽コンクールの名称

 

 小松耕輔が昭和2年に始めた日本初の音楽コンクールの名称について、ある新聞記者から「合唱大音楽祭」なのか「合唱競演大音楽祭」なのか、どちらが正式なのかという質問を受けた。

 私が2014年10月に秋田魁新報に寄稿した文章(当ホームページの「小松耕輔の業績」の短縮版に相当)では「合唱大音楽祭」とした。その根拠は小松耕輔が昭和36年に執筆した『わが思い出の楽壇』である。同書には第1回のプログラム冊子の表紙の写真(画像)が載っており、そこには“競演”の文字は無い。また小松は同書で「当日のプログラムのはじめに私は『国民音楽協会の創立と合唱大音楽祭とについて』と題して書いた」とか「『合唱大音楽祭』という名については面白い話がある」と書いていて、この名称を4回使っている。更には「後にコンクールを競演会と訳して用いた」と書いている。プログラムの表紙には「大」の字は無いが、私は小松が著書で複数回用いた名称を引用して魁新報に寄稿した。

 しかし小松耕輔が初代理事長を務めた全日本合唱連盟のウェブサイトの「沿革」では昭和2年に「第1回合唱競演大音楽祭が開催」とある。それで新聞記者はどちらが正式なのか迷ったようだ。

 小松は名称をコンクールとしたかったようだが、反対意見があって実現しなかった。小松は『わが思い出の楽壇』でこのプログラムの表紙の写真と共に「(昭和二年)十一月二十八日、午後六時半、日本青年館においてわが国における最初の合唱競演大音楽祭が行われた」と書いている(しかしこの名称が登場するのはこの1回だけ)。コンクールという名称を使いたかった小松の思いがこの一文に滲み出ている。名称に諸説ありの原因は小松耕輔自身ということか?