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2020年 12月

ラヴェルの指揮(続き)

 

 アービー・オレンシュタイン Arbie Orenstein 編の "A Ravel Reader ー Correspondence, Articles, Interviews" (出版:Dover)では、先月のブログで触れた1930年1月のラヴェル指揮、ラムルー管弦楽団の演奏による『ボレロ』の録音の時の様子を、同じ1930年1月に出版された音楽雑誌の記事を取り上げて紹介している(元記事は仏文であろうが、この本では英文で掲載している)。

 それによると、当時ラムルー管弦楽団の指揮者であったアルベール・ヴォルフ Albert Wolff が "下振り"(リハーサル段階の指揮)をして、ラヴェルはレコーディング・ブースにいて、ヴォルフに「トランペットが十分ではない」とか「チェレスタが強過ぎる」とか指示を出し、またホルンを移動させたり、オーボエの前のスペースを空けたりするなどの試行錯誤を繰り返してから本番の録音の指揮をしたらしい(『ボレロ』の録音で下振りの指揮者がいたことは、この本を読むまで私は知らなかった)。ラヴェルの指揮は "With rigid gestures, his wrist traces the three beats which, in a mechanical way, govern this melody in C . . . " (硬いジェスチャーで、彼の手首はこのハ調のメロディーを支配する三拍子を機械的にトレースしている・・・)とあった。この文面から察するに、正三角形を描くような直線的な動作の指揮だったと思われる。

 本番の録音時の面白いエピソードも紹介されている。演奏が終わった後、演奏者に沈黙を求める小さな緑の電球が消えるのを、オーケストラの演奏者たちは息を潜めて待っていたが、演奏に満足したラヴェルは安堵して指揮棒をスコアの上に投げて大きな音を立ててしまい、もう一度録音を最初からやり直したそうだ。2回目の演奏も上手くいって、ラヴェルは今度は緑の電球が消えるのを待ってから、計り知れないほどの注意を払って指揮棒(この本では "scepter" と表現されている )を置いたとあった。その仕種をオーケストラの演奏者たちはニヤニヤしながら見ていたことだろう。"scepter" は王様が儀式の際に手にする棒(笏)のことだから、記事を書いた人の目に映ったラヴェルの存在感が何となく伝わってくるようだ。

  なおこの時のセッションではヴォルフの指揮で『古風なメヌエット』も録音されたが、これは先月のブログの冒頭で紹介したCDアルバムに収録されている。スコアに記された強弱やアーティキュレーションが微に入り細に入り忠実に表現されている演奏である。ラヴェルにとっては申し分のない出来であったのではないだろうか。ハープが殆ど聴こえなかったり、バスクラリネットやバス―ンの音量が勝ってバランスの悪いところが部分的にあるが、『ボレロ』と同様に、調整には恐らく最善を尽くしたはずだ。この曲の録音でもラヴェルはレコーディング・ブースに陣取り、あれこれ指示を出していたのかも知れないが、その様子を想像しながら聴くのも楽しい。

 ところで『古風なメヌエット』の管弦楽への編曲は1929年で、編曲の目的に1930年1月の録音が含まれていたのかどうかは分からない。オレンシュタイン著の『ラヴェル~生涯と作品~』(井上さつき訳、音楽之友社)に掲載の作品リストでは、この編曲版の初演が「モーリス・ラヴェル指揮 ラムルー管弦楽団、1930年1月11日」となっていて、指揮者がアルベール・ヴォルフにはなっていない。また同書では『ボレロ』の「演奏会初演」(バレエの初演ではない)も「モーリス・ラヴェル指揮 ラムルー管弦楽団、1930年1月11日」と記されている。録音の日付がはっきりしないので何とも言えないが、オレンシュタインの記述に従えば、この2曲をラヴェルが指揮したコンサートが1月11日に行われて、同じ月の別の日に録音をしたことになる。ただそうであれば、何故『古風なメヌエット』の録音の指揮がヴォルフだったのだろうか?考えられるのは、やはりラヴェルの指揮の技術的な問題ではなかろうか。ラヴェルはコンサートでは『古風なメヌエット』を振ったけれども、録音の指揮はヴォルフに任せようということになったのかも知れない。

 


2020年 11月

ラヴェルの指揮

 

 ラヴェルは1930年1月にパリで自作の『ボレロ』をラムルー管弦楽団を指揮して録音している。私がこの録音を最初に聴いたのが画像のCD(3枚組)で、このアルバムには1930年から1949年までに録音されたラヴェルの管弦楽作品が収録されている(ラヴェルが指揮しているのは『ボレロ』のみで、他の作品はモントゥーやクリュイタンス、クーセビィツキーらが指揮している)。これを購入したのは随分前のことで、はっきりと覚えていないが、著作権マークに“2002”と記されているので、その年かその翌年くらいかも知れない。東京都内のCDショップで偶然見つけて、以前からラヴェルがどのような指揮をしたのか関心があったので、『ボレロ』だけを聴く目的で買って帰った。

 聴いてみたら、ちょっと首を傾げたくなるようなところがあった。ボレロのリズムは重く、恐らくそのためかと思われるが、タイミングの合っていない箇所があるし、スマートとは言い難いソロの演奏が現れたりしていた。ラヴェル自身は録音した演奏の出来をどのように感じていたのだろうか?

 CDに付いていた解説には "Ravel himself was a conductor of modest skill and experience; thus his recordings of his own music may not be the most trustworthy sources of interpretive authenticity."(ラヴェル自身は控えめな技術と経験を持つ指揮者であったため、彼自身の音楽の録音は、解釈の信憑性について最も信頼できる情報源ではないかも知れない)とあり、 ラヴェルの指揮に対して肯定的な評価をしていない。

 先月のブログで紹介した新しく発売されたラヴェルの作品全集のCDには、ラヴェルの指揮による録音として、この『ボレロ』に加えて、1924年にロンドンで録音された『序奏とアレグロ』と、1932年9月にパリで録音された『マダガスカル先住民の歌』が収録されていた。

 『序奏とアレグロ』は録音状態が良いとは言えず、細かいところまでは分かり難かったが、アレグロの音楽の流れはスムーズな印象を受けた。『マダガスカル先住民の歌』の方は録音状態が良く、ディテールまで聴き取れた(この2作品の録音年には8年の差があるから、その間に録音技術が向上したのかも知れない)。『ボレロ』のような粗さは無く、演奏水準は高いように思われた。

 『マダガスカル先住民の歌』は1925年から26年にかけて作曲され、ラヴェルの後期の特徴である線的な書式による作品である。オレンシュタインは「ラヴェルの声楽芸術の頂点に位置づけられる」と述べている(同著『ラヴェル~生涯と作品~』井上さつき訳、音楽之友社)。原始主義的な曲調で、声を楽器のように扱っていたり、チェロのハーモニクスによるピツィカートを太鼓の音に似せて使っていたりして、今でも斬新に感じられる響きの曲だ。ラヴェルはこの作品の良い録音を残せたことに満足していたかも知れないが、『序奏とアレグロ』も含めて、実際のところ、どのような指揮振りだったのだろうか?

 

 ロジャー・ニコルズ編の "Ravel Remembered "(出版:faber and faber)には「指揮者ラヴェル」について語った数人の音楽家の言葉が掲載されているが、あまり芳しいものではない。作曲家タンスマンは "He was not a good conductor." と言っていたそうだ。『マダガスカル先住民の歌』のラヴェルの指揮については、ウィーンの音楽評論家ポール・ステファンが述べたラヴェルにとっては不愉快な<裏話>が紹介されている。フランス大使館でラヴェルのために小さなコンサートが企画され、ラヴェルは『マダガスカル先住民の歌』を指揮したいと申し出た。演奏者は全員一流だったが、ラヴェルの指揮で混乱してしまい、最初のリハーサルでは全く揃わなかった。するとオペラのオーケストラの団員だったチェリストが歌手に「貴女についていく」と呟いて、演奏は完璧になったらしい。

 しかしこの手の裏話には、どうも誇張があるように私には感じられるのだけれど・・・。

 

 余談になるが、ラヴェル指揮の『ボレロ』を聴いて、以前、ロンドン滞在中に大英図書館の展示室で聴いたホルストの指揮、ロンドン交響楽団の演奏による『火星』(言うまでもなくホルスト作曲『惑星』の第1曲)の録音を思い出した。荒っぽい演奏で、音を外したりしていて、オーケストラのメンバーが曲に馴染んでいない様子がありありと出ていた。テンポは速く、最後の小節の持続音の音符にはフェルマータが付いているが、作曲者自身がフェルマータの指示を無視しているかのように短く終わっていたのが意外だった。

 作曲者の指揮による演奏には、指揮の技術の巧拙とは別に、聴き手の好奇心をそそる何かがある。

 

(この話題は来月も続きます。)

 


2020年 10月

ラヴェル作曲のオーケストラ伴奏付き混声合唱の作品

 

 先月発売されたモーリス・ラヴェルの作品全集(CD21枚組)に、全く聴いたことが無かったラヴェル作曲のオーケストラ伴奏付き混声合唱の作品が次の5曲収録されていた。

  1. Les Bayadères  〈バヤデール〉(1900年)
  2. Tout est lumière 〈全ては光〉(1901年)
  3. La Nuit 〈夜〉 (1902年)
  4. Matinée de Provence 〈プロヴァンスの朝〉(1903年)
  5. L'Aurore 〈夜明け〉(1905年)

 最初に収録作品のリストを見た時には、ラヴェルにはこんな作品もあったのかと驚いたが、作曲年を見てピンと来た。全てラヴェルが応募したローマ賞コンクールの予選で提出した作品だ。これらを聴いたことがあるという人はかなり少ないのではないかと思う。

 ローマ賞コンクールは予選が「4声のフーガ」と「オーケストラ伴奏付きの短い混声合唱曲」の作曲(上記の5つの作品の演奏時間は4~6分程度)、本選が「3人程度の独唱者とオーケストラのためのカンタータ」の作曲となっている。前述の5作品の内、1~4にはソプラノ独唱、5にはテノールの独唱が含まれている。

 作品を聴いた印象であるが、1は東洋的な雰囲気の曲(曲名の『バヤデール』はインドの舞姫のこと)で、リムスキー=コルサコフの『シェエラザード』を連想させる。ラヴェルはこの作品では本選に進めなかった(同時に提出したフーガの評価がどうであったか分からないが、この年のローマ賞コンクールの直後に行われたパリ音楽院のフーガのコンクールで、テオドール・デュボアはラヴェルに零点を付けたらしく、ラヴェルは作曲のクラスから除籍されてしまう)。

 2~4は予選通過をかなり意識して書いたのか、書式が保守的というか前世代的で、同時期に書いていた『亡き王女のためのパヴァーヌ』や『水の戯れ』『弦楽四重奏曲』とは随分と異なっていて、まるで別人の作品の感がある。ジャンケレヴィッチはラヴェルの和声について「飽くなき好奇心に完全に支配されている」と語っているが(同著『ラヴェル』白水社)、正にそれがラヴェルの真骨頂とも言えるのに、2~4では、その好奇心に蓋をしてしまったかのようである。しかしラヴェルは2~4を書いた年のコンクールでは本選出場を果たしているのだ。

 5はこの中では最も抜きん出ていて、聴き応えがある作品だった。音楽が実に伸び伸びとしているし、ラヴェルらしい響きの瞬間がある。しかしこの作品ではラヴェルは本選に進めなかった。ラヴェル研究家のアービー・オレンシュタインによると、同時に提出したフーガの最後の和音は『水の戯れ』のように長七の和音で終わっていて、審査員によって直されたとのこと(同著『ラヴェル~生涯と作品~』音楽之友社)。そしてこの年の落選が、当時パリ音楽院院長だったテオドール・デュボアを辞任に追い込む「ラヴェル事件」に発展する。

 2~4の予選通過作品やその時の本選で書いたカンタータを聴いていると、当時のローマ賞コンクールを包んでいたであろう保守的な重々しい空気を想像してしまうが、5の作品を聴くと、エントリー資格の年齢制限の30歳だったラヴェルにとっては最後の挑戦だったから、審査員が下す評価を余り気にすることなく、自分のやり方で曲を書いたのではないかと思えるようなところがあって、何だかホッとした気分になる。1905年頃には一人前の作曲家として認められつつあったし、当然の姿勢だと思う。

 


2020年 9月

ピアニスト・ドビュッシー

 

 ドビュッシーのオペラ『ペレアスとメリザンド』でメリザンド役を演じたメアリー・ガーデンやマギー・テイトがドビュッシーのピアノの腕前を賞賛していたことは先月のブログに書いたが、その後に、下の画像のCD "CLAUDE DEBUSSY, The composer as PianistAll His Known Recordings" が自宅にあったことを思い出した。購入したのは十数年前だと思うが、すっかり忘れていた。

 このCDに収録されているのは全てドビュッシーのピアノ演奏で、ドビュッシーの作品だけを録音したものであるが、ピアノロールに記録したピアノ作品の演奏(従って正確に言えば「ピアノロールによる演奏の再現」)と、SPレコードのために録音した歌曲の伴奏の演奏(歌唱はメアリー・ガーデン)で構成されている。つまりドビュッシーの演奏は、紙の上に記録したものとアコースティックな方法で記録したものの2種類が現在残っている。

 ドビュッシーがピアノロールに演奏を記録したのは1913年で、CDに付属のブックレットによればドビュッシーはその出来栄えに満足し、装置の発明者のエドウィン・ウェルテ Edwin Welte に「ウェルテの装置以上の完璧な再現は不可能である」と賛辞の手紙を送ったそうである。そしてこのCDに収録したピアノロールによる音源は「昔ながらの方法で、ウェルテ・ミニョンの複製のロールを使い、丁寧に修復された1923年製のウェルテ・ピアノで再現し、ノイマンのマイクを2本用いてステレオ録音した」とあった。

 久し振りに聴いてみたが、何とも形容し難いゴツゴツした響きで、リズムにぎこちなさがあって、機械が演奏している感が否めない。ドビュッシーは何に満足していたのだろうか?ブックレットにはピアニストがピアノロールに記録した際にミスをした音は修正されるが、それ以外は編集されず、「その記録は単なる近似ではなく、演奏を正確に再現している」とあるが、正確な再現であるようには思えなかった。

 それに比べてSPレコード用に1904年に録音した歌曲の伴奏の演奏は、印象が全く異なる。当時の録音技術が未熟であったために音量が小さくて、ぼんやりとした響きにはなっているが、音楽の流れが実に生き生きとしていて、彼が如何に素晴らしい技術を持ったピアニストであったかが伝わってくる。

 ブックレットでは "Debussy's playing was highly individual and completely different from the fast, dry, super-articulated style that prevailed in France at the time." (ドビュッシーの演奏は非常に個性的で、当時フランスで流行していた速く、乾いた、過度に歯切れよく演奏するスタイルとは全く違っていた)と紹介している。なおこの英文中の "dry"(乾いた)という単語は、恐らく「感情に走らない」という意味で使われていると思われる。

 

(ウェルテ・ピアノを紹介したサイトがありましたので下にリンクを張っておきます。)

 https://museum.min-on.or.jp/collection/detail_D00003.html

 


2020年 8月

ドビュッシーと3人のメリザンド

 

 ロジャー・ニコルズ Roger Nichols 編の "Debussy Remembered "(下の画像、出版:faber and faber)は、ドビュッシーと関わりのあった人々のドビュッシーの思い出が綴られた多数の文献からの引用で構成された本である。これを読むと、直接的に縁のあった人達の言葉だけに、生々しいドビュッシーの人物像が浮かび上がってくる。

 

 'Autour de Pelléas'(ペレアスの周辺)の章ではドビュッシーのオペラ『ペレアスとメリザンド』の上演に関わった人々の言葉が紹介されているが、中でもメリザンド役にまつわる3人の女性、ジョルジェット・ルブラン Georgette Leblanc (1875~1941)、メアリー・ガーデン Mary Garden (1874~1967)、マギー・テイト Maggie Teyte (1888~1976) の言葉が注目される。

 

 ジョルジェット・ルブランはオペラ『ペレアスとメリザンド』の元になった同名の戯曲の作者のメーテルリンクの長年の愛人で、女優であり歌手だった人物である。オペラ『ペレアスとメリザンド』の初演時のメリザンド役は、メーテルリンクの意向でジョルジェット・ルブランが演じることになっていた。しかしドビュッシーがメーテルリンクに断りを入れずにメアリー・ガーデンを起用したために騒動になったという話は私も知っていたが、その顛末についてこの本に記されたジョルジェット・ルブランの言葉には少なからず驚かされた。

 騒動が起きる前、メーテルリンクがドビュッシーとキャスティングについて話をしていた時に、メーテルリンクがジョルジェット・ルブランにメリザンド役をやって欲しいと言ったところ、ドビュッシーは喜んで、直ぐにプライベート・リハーサルを行うことになり、ジョルジェット・ルブランの家で2~3回、ドビュッシーの家で2回行い、ドビュッシーは彼女の解釈(演奏内容)に興奮していたというのだ。そしてある日、メーテルリンクが新聞を読んでいた時に、別の歌手がメリザンド役で契約していて、ドビュッシーとリハーサルをしているという記事を見つけて大騒ぎになったらしい。

 その「別の歌手」であるメアリー・ガーデンはオペラ『ペレアスとメリザンド』の1902年の初演でメリザンド役を演じることになるが、"Debussy Remembered " にはメアリー・ガーデンの言葉でリハーサルの様子が詳しく述べられている。それによると初演の指揮者のアンドレ・メサジェの家に出演者全員が集められ、そこでドビュッシーは『ペレアスとメリザンド』を自分で最初から最後まで弾き歌いをしたそうなのだ。そしてドビュッシーは出演者一人ずつとリハーサルを行い、メアリー・ガーデンの時にはドビュッシーはゴローの役を歌ったとあった。メアリー・ガーデンはドビュッシーの声は「とても小さくてハスキーだった。私は歌える作曲家を全く知らなかったし、ピアノを上手く弾ける作曲家は殆どいなかった。シャルパンティエは一音も弾けなかった。でもドビュッシーは素晴らしいピアニストだった」と記している。

 ドビュッシーはメリザンド役のメアリー・ガーデンについて「メリザンド役は、それまでずっと、具体化のむつかしい役柄のように私には思えていた。彼女(メリザンド)の繊弱さ、よそよそしい魅力を私は音楽的に書きとどめようと大いにつとめたのだった。(中略)一風変わった一人の女性歌手がいた。彼女(メアリー・ガーデン)に指図をする必要をおぼえたことは私にはほとんど一度もなかった。彼女こそメリザンド役にぴったりだということがしだいにはっきりしてきた。」(ドビュッシー評論集『音楽のために』F・ルジュール編・杉本秀太郎訳、白水社、1977年、p.198)と絶賛している(引用文中の括弧付きの文言は筆者による加筆)。しかしドビュッシーとメアリー・ガーデンの関係はある出来事がきっかけとなって終わりを告げたようである。その辺りの経緯について "Debussy Remembered " にはメアリー・ガーデンの言葉で詳しく書いてあった。

 

 画像のCDは私が最近購入したドビュッシーの作品全集(CD33枚組)で、僅か1分48秒であるが、『ペレアスとメリザンド』の第3幕の「長い髪の毛が降りてくる」を歌うメアリー・ガーデンの歌声と伴奏するドビュッシーのピアノ演奏の録音が含まれている(録音年代は付属のブックレットには記載が無いが、別のCDには1904年にパリで録音との記述があった)。

 

 さて "Debussy Remembered " には、マギー・テイト は1908年にメアリー・ガーデンからメリザンド役を引き継いだとある。メアリー・ガーデンはイギリス人で、スコットランドのアバディーンの出身であるが、マギー・テイトもイギリス人である。ドビュッシーが関わった『ペレアス』の上演で、メリザンド役が2代続けてフランス人ではなくイギリス人だったというのも面白い。マギー・テイトの国籍を聞いたドビュッシーは「またスコットランドの女の子か?」と言ったらしい。ちなみにマギー・テイトはウォルヴァーハンプトン Wolverhampton の出身で、スコティッシュではない。

 同書に記されたマギー・テイトの言葉には「ドビュッシーが自作以外の音楽を演奏するのを聴いたことがないが、何と素晴らしく演奏したことか!作曲家は自分の作品を解釈(演奏表現)できないことで評判が悪いし、それは多くの人に当てはまると思うが、ドビュッシーのピアニストとしての、また指揮者としての才能は、常に自分の音楽のエッセンスを表現するのに充分だった」とあった。またドビュッシーは、リヒャルト・シュトラウスについては「素晴らしいテクニシャンだが、それだけだ」、ワーグナーについては「偉大な文学と演劇の天才だったが、音楽家ではない」と語っていたらしい。

 


2020年 7月

エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルトの作品


 作曲家エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルト Erich Wolfgang Korngold (1897~1957) のことは最近まで知らなかった。たまたま或るアメリカ人音楽家がレクチャーしているYouTubeの動画を見ていたら、コルンゴルトのヴァイオリン協奏曲(1945)に言及していたので、調べてみたところ、この作品は著名なヴァイオリニストたちによって演奏されていることが分かった。それをきっかけに暫くの間、彼の他の作品を聴いたり、スコアを買い求めたりしていた。

 この人物の経歴についてはネットで情報が得られるので省略するが、活動のメインはハリウッド映画の付帯音楽の作曲である。大編成オーケストラを駆使したワクワクするような色彩感溢れるオーケストレーションや和声法が魅力的で、後年、ジョン・ウィリアムズに影響を与えたことは、例えばコルンゴルトによる映画 "KINGS ROW" (1942) のメイン・タイトルの音楽などを聴けば直ぐに分かるのではないかと思う。コルンゴルトの映画音楽の代表作に "THE SEA HAWK" (1940) があるが、欧米のオーケストラではプロ・アマを問わず、この作品をコンサートで取り上げて演奏しているようである。下の2つの画像は私が購入したCDで、2つ目のCDに付いていた解説文には、前述のヴァイオリン協奏曲の主題は、彼が作曲した映画音楽から引用したものが使われているとあった。

 

 Charles Gerhardt conducts Classic Film Scores(CD12枚組、解説のブックレット無し)

Korngold

The Sea Hawk (CD 1)

The Adventures of Robin Hood (CD3)

Elizabeth and Essex (CD9)

 

 

 

Korngold

Symphony, Violin Concerto, Piano Trio, Arias  (CD2枚組)